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2009年8月19日 (水)

金大中元大統領逝去

民主化の闘士で、死刑判決を受けながらも大統領で上り詰められた、金大中大統領がなくなりました。

KTという映画と、第5共和国で詳しくその人となりと歴史を知りました。(脚色はあると思いますが)

大統領になられたときてっきり、いわゆる”金大中事件”の清算をされるんだろうと思ってました。

しかし。。。

「クーデター、そして死刑判決、歴史の因縁を断つ」の記事によれば

79年の12・12クーデターで権力を掌握した全元大統領は、5・18民主化運動の背後に金元大統領がいるとにらんで、軍事裁判にかけた。金元大統領は、内乱陰謀の容疑で死刑が言い渡されると、最終陳述で、「韓国で民主主義が定着するには、政治報復は絶対にいけない」と述べた。米国政府の地道な交渉で、その後、金元大統領は無期懲役に減刑され、その「お礼」として訪米した。しかし、82年12月に米国に亡命した金元大統領が85年2月に帰国すると、全元大統領は、金元大統領に対して1ヵ月間の自宅軟禁の措置を下した。
その後、97年12月に大統領に当選した金元大統領は、死刑宣告の時の最終陳述を守ろうとするかのように、在任期間中、全元大統領を許そうと努めた。99年12月からは、「前職大統領との懇談会」を設け、大統領府によく招待した。入院前に出版を準備していた自叙伝で、金元大統領は、「死の直前の苦しみを与えた彼を信仰で許そうと努力した」と記した。

全斗煥元大統領は「金大中時代は大統領経験者にとって一番居心地よかった」とも述べられてるそうです。

韓国の民主主義を体現した金大中元大統領に、

深い哀悼の意を表します。安らかにお休みください。

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コメント

金大中さんが大統領に当選した時、
私は韓国で留学生活を送っていました。
全羅道の人が大統領、というのはたぶん
その時が初めてで、とても歴史的な瞬間
だったのを覚えています。

逝去された、というニュース。
衝撃を受けました。

晩年、いろいろあり、決していいことばかりではなかったと思いますが、
まろさんも記事にしているように
敬虔なクリスチャンである彼は
自分を殺そうとたくらんでいた人物まで
許せるのですね。
私も韓国内で「KT」見ましたが、
話半分に見ても、ずいぶんひどい話です。

復讐をしないことが一番の復讐、
この世の中をよりよい世の中にするのが
一番の復讐。

みながそう思えるようになりたいですね。

投稿: pequenagrande | 2009年8月21日 (金) 21:30

■pequenagrandeさま

>全羅道の人が大統領、というのはたぶん
>その時が初めてで、とても歴史的な瞬間

歴史的な瞬間に韓国におられて実感されたんですね~すばらしい体験ですね。

>敬虔なクリスチャンである彼は

きっと敬虔なクリスチャンだったからこそなのでしょうね。
私は、数年前に色々あって、同僚にさえ些細なことで恨みをもったことがありますから、その寛容さにとても頭が上がりません。

そういえば、朝の手紙にもありましたよ。
以下のリンクに記事があります。

https://kazumaro.cocolog-nifty.com/corean/2009/03/30-1af2.html

今は実感として、そうしなきゃいけないな(なかなか実行できてませんが)と思っています。

投稿: まろ | 2009年8月22日 (土) 23:14

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