海辺のカフカ~第34章~
この章のタイトルは”나는 도대체 무엇이란 말인가?”
「俺は一体なんなんだ?」나(私)はホシノさんで、「何なんだ?」っていうのは、ナカタさんが空っぽなら、俺は何なんだ?ということなんでしょうね!
タイトルからも分かりますように、この章はホシノさん中心のお話です。
でも最初のところはとっても難しかったです
시커멓고 거대한 소나기 구름은 완만한 속도로 시내를 가로지르며,마치 상실된 도의를 구석구석까지 뒤져서 찾아내려는 듯이,떨어뜨릴 수 있을 만큼의 번개를 잇달아 떨어뜨렸다
(原作:巨大な暗黒の雷雲は緩慢な速度で市内を横断し、まるで失われた道義を隅々まで糺すかのように、落とせるだけの稲妻を矢継ぎ早に落とした)
いきなり挫折しそうになりました(笑)。この中の・・・
마치 상실된 도의를 구석구석까지 뒤져서 찾아내려는 듯이
(原作:まるで失われた道義を隅々まで糺すかのように)
このところですけど、찾아내다は、”糺す”なのでその前の、뒤지다は何なのかなとしらべたら、
뒤지다2
<1> [타동사] (くまなく)捜す;漁る。
<2> [타동사] (本や書類などを)めくる;いじくる。
という意味があるみたいですので
隅々まで”書類をめくって”探し出すという感じなのかなと思いました。
話を、元に戻して。。。
入り口が空いて、ナカタさんは再び眠ってしまいます。ホシノさんは一人になり思いをめぐらせます。
”自分は何なんだ?”と思うホシノさんもナカタさんの横にいると
나 자신이란 도대체 무엇이냐라는 문제가 나카타 상 옆에 있으면,아무래도 좋게 생각되는 것이다
(俺自身が何なんだ?という問題が、ナカタさんの横にいたら、どうでもよく感じてくる)
その後、ホシノさんは、ふと立ち寄った喫茶店で「大公トリオ」を聞きながら思いをめぐらせます。
ルドルフ大公が、ベートーベンを尊敬し弟子となって、世渡り下手のベートーベンを援助したという話を店主から聞いたホシノさんは
「세상에는 그런 사람도 필요하군요」
(世の中にはそんな人も必要だね)
ホシノさんは、きっとルドルフ大公と自分を重ね合わせたのでしょうね。そして、ホシノさんはさらに思いをめぐらせて
살아가면 갈수록 나는 알맹이를 잃어간다…(中略)…그건 말도 안되는 이야기다.그런 사고의 흐름을 어디에선가 바꿔놓을 수는 없을까?
(生きれば生きるほど、俺は中身を失っていく・・・それは、間違ったことだ。そんな流れをどこがで変えることはできないか?)
ホシノさんは、それこそ流れを変えようと、ナカタさんにいけるとこまでついていこうとホシノさんは心に決めます。
*****
この章は、ホシノさんが悟りを開くような章でした。
自分自身で気づいて変わるって言うのはとっても難しいけど、ふとした日常でも変われるし悟りを開ける。ということなのかと思いました。
それに、どんな人でも世の中には必要とされるというか、居場所があるというか。
ただ、それを受け入れるには自分自身のなかに制約や、葛藤があって、気持ちを整理するには時間も必要なんですよね。
「인생 같은 건 어느 쪽으로 굴러봤자 개똥 같은 거야」
(人生なんてものは、どうころんだってクソみたいなもんだ)
そう考えると(爆)どんなことも小さなことに思えてしまう。そんな悟りを私にもくれた章でした。
こんなまとめで、一抹の不安がありますが・・・次はテラさん第35章お願いします。
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コメント
私も「뒤져서」に下線を引いてあります。どうもこの単語の意味、覚えづらいですね。
あとけっこう色々気になる表現がありましたが、中でも179ページ
「그렇게 갖출 것 다 갖춰놓고 요란을 떨던 소동치고는 어딘지 모르게 허전한 느낌이 드는군.」
が原作では
「道具立てが派手だっただけに、なんとなくあっけねえ感じがするよ」になってますね。韓国語にするとこうなるのかぁ、と思いました。
「허전하다」は、本やドラマで出会った時の意味は「なんとなく寂しい」「小腹が空いた」と言う意味でした。
星野青年、この章では今まで出会ったこともない音楽、映画から「自分は何者か」などと言うところまで考えるようになるんですねぇ。これも無意識だけれどナカタさんの影響でしょうか。
投稿: ハーちゃん | 2010年4月 5日 (月) 07:14
ホシノさんって見かけとか言動はチャライ感じがするのですが、ピュアなんですよね。だからこそ、ナカタさんに引かれるのかもしれません。ピュアな魂同士で。
最初の「糺す」ですが、何と読むのかわかりませんでした。「ただす」なんですね。
原作の方の「失われた道義」というのは、悪くなったというような意味で使われているので「糺す」がくるのかな?韓国語の方は「失われた」を意識して「くまなくさがして、みつけ出す」という訳になっているのかな?翻訳って奥が深いわぁ。
私なんかが訳すと、直訳して따지다とかを使っちゃいそうです。
허전하다は、あったものがなくなったときの喪失感を表す寂しさですよね。昨日までここにいた君が今日はいない・・・みたいな。
인생 같은 건 어느 쪽으로 굴러봤자 개똥 같은 거야 お気に入りですね
私も今、この言葉に頼って生きたい心境です。。。
投稿: テラ | 2010年4月 5日 (月) 11:36
■ハーちゃんさま
뒤져서確かに覚えにくいですね・・・この言葉があったほうがしっくりするのでしょうか。。
「그렇게 갖출 것 다 갖춰놓고 요란을 떨던 소동치고는 어딘지 모르게 허전한 느낌이 드는군.」
はあえて訳すると「こんなに大騒ぎした騒動としては、さびしい感じがするね」って所でしょうか。
この韓国語も訳すとなると難しいですね・・・
あっけないを허전하다に翻訳するのはさすがですね。
>これも無意識だけれどナカタさんの影響でしょうか。
そうなんですよねぇ。それがナカタさんの魅力なのかもしれませんね。
■テラさま
>ピュアなんですよね
そうなんですよね。心の根っこはそうなんですよね。だから悪い人のような感じがしないのですね。
見返したところ糺すは原作では、振り仮名がふってありました。
糺すは「罪・真偽・事実などを問いただす」ってなってます(IMEのヘルプ)ので悪いイメージばかりではないかもしれません。糺す=質す=糾すは大体同じ意味みたいです。
たしかに따지다じゃなんでダメだったのでしょうね。この辺にも翻訳者の苦労がにじみ出てる気がします。
>허전하다は、あったものがなくなったときの喪失感を表す寂しさ
ナルホド・・・日本語で表すとなかなか一言にならないですねぇ(苦笑)
私も実はお気に入りです。
そういう時も人生。そういう時も必要な時間があるデスよー
投稿: まろ | 2010年4月 6日 (火) 21:48
クラシックには暗い私ですが、この100万ドルトリオの大公を聴いてみました。
春樹氏がこの曲を想像しながら(聴きながらかも?)この場面を書いていたのか~と思うと、なんとなくこの場面が目の前に浮かぶようでした
文中、「ホシノ青年」「青年」「ホシノさん」「彼」など、いろいろ出てくるのが気になりました。なぜにいろいろ変えるんでしょうか?
投稿: nikka | 2010年4月 7日 (水) 18:58
■nikkaさま
遅くなりましてすいません。
実は私も大公トリオ聴いてみようと思ってました。
近々CDショップに行ってみようと思っています。
>「ホシノ青年」「青年」「ホシノさん」「彼」
本当ですね、全く気づいていませんでした...
読み返した感じだと、客観的なときとシリアスなときで使い分けているような感じでした。(自信はありません)
投稿: まろ | 2010年4月10日 (土) 22:52