海辺のカフカ~第44章~
お待たせしました~
今回のタイトルは「기구한 생애의 막은 내리고」(数奇な生涯の幕は下りて)です。
そうなんです。この章でナカタさんが亡くなってしまうのです(泣)
しかも、ふと突然に。。。え。。。って感じでした。
でも、ナカタさんはホシノさんを大きく変えました。そういう意味では、ホシノさんの中にナカタさんが入っちゃったような・・そんな感じがしました。
では順を追って、気になった表現を・・・
冒頭サエキさんから受け取ったファイルを川原で燃やすのですが
P337
나카타는 이것을 불태워 버리겠다고 사에키상과 약속했습니다
(ナカタはこれを燃やしてしまうと、サエキさんと約束しました)
と訳してみましたが、原作を見ると”焼き捨てる”なんですね。
ああ、韓国語って”焼き捨てる”と”燃やしてしまう”は同じ表現なんだなぁっと思いました。
でもこの場合は、焼き捨てると訳すほうが自然かな?
そしてファイルは燃え尽きてしまいました。ホシノさんの無が増えたという発言に
P338
”한 가지 물어보고 싶은 것이 있습니다”
(ひとつ伺いたいことがあります)
こんな言い回しをすれば疑問形じゃないのに、疑問文になるんですね。なんか不思議な感じがしてとても印象的でした。
大王四神記の7話で、キハが「ある方の命が危ない」というとホゲが(分かっているはずなのに)
누군지 물어 봐도 돼요?
(誰かと聞いてもいいですか?)
って言ったのを、まったく関係ないですがふと思い出しました。
休みすぎて職場に戻れないかもっというホシノさんが
P341
손이 발이 되도록 빈다면 그럭저럭 용서해 줄지도 모르지만
(手が足になるように祈れば、どうにか許してくれるかもしれないが)
이 발이 되도록 빌다(手が足になるように祈る)
ちょっと想像してみましたが・・・土下座をするような感じでしょうか?
辞書で調べると”あの手この手で許しを請う”って言う慣用句でした。
眠くなりかけたナカタさんに向かってホシノさんが
P342
나카타 상 눈을 통해 사물을 보게 되었기 때문에이라구.
(ナカタさんの目を通じて事物を見るようになったからだ)
とても印象的なフレーズです。ナカタさんによって、ホシノさんの心の入り口の石も開いたのでしょうね~
そしてナカタさんは、眠ったまま亡くなってしまいます
P345
인간에게 정말로 중요한 것은,정말로 무게를 갖는 것은,어떻게 죽느냐 하는 것이다,하고 청년은 생각했다.어떻게 죽느냐에 비한다면,어떻게 사느냐 같은 것은 대단한 일이 아닐지도 모른다.그렇지만 사람이 어떻게 죽느냐를 결정하는 것은 역시 그 사람이 어떻게 살았느냐에 달려 있을 것이다
(人間に本当に重要なことは、本当に重きを持つのは、どう死ぬかということだろう、と青年は思った。どう死ぬかに比べれば、どう生きるかというようなことはたいしたことではないかもしれない。しかし、人がどう死ぬかを決定するのは、まさにその人がどのように生きてきたかにかかっているだろう)
むむ、深い・・・悪い生き方をしていて、いい結末になるのは、なかなか難しい気がします(汗)
このように死を迎えたナカタさんは、それはナカタさんが生きてきたことを反映しているんでしょうね。
*****
残されたホシノさんは、入り口の石の閉じるべき時期を部屋で待ちます。
字の読めないナカタさんが最後にしたことは、字を燃やすこと。確かになんとも皮肉でした。でもそれが、ホシノさんのなんとしても入り口の石を閉めてあげたいという気持ちに変わってるのが
なんともいえない物語のつながりを感じました。
そして最後に、ホシノさんは大公トリオを聞きながら泣いてしまいました。
なんか私も大公トリオを聴いてみたくなりました。
いよいよ物語が終わりに近づいている足音が聞こえます。
次はテラさん第45章お願いします。
P.S.
皆様のエントリーにコメントできず本当に申し訳ありませんでした。
小さいころから読書感想文が苦手で・・・正直なところ思案しているうちにタイミングを逸したようになってしまっておりました。
m(__)m本当にスイマセン
| 固定リンク
| コメント (8)
| トラックバック (0)
最近のコメント