2010年08月30日~09月04日の朝の手紙
今週の朝の手紙を公開します。
2010年08月30日[初めの歩み]
2010年08月31日[新しい選択]
2010年09月01日[プーアル茶銀行]
2010年09月02日[5年、10年後にも光を見ること]
2010年09月03日[芸術的パートナー]
2010年09月04日[許し]
용서
용서하는 순간
분노와 원한과 슬픔의 굴레에서 벗어날 수 있다.
용서하는 사람은 신체적으로 건강하고
정신적으로 행복해질 수 있으며
용서는 타인을 위한 것이기도 하지만
가장 중요한 것은 자기 자신을 위한 것이다.
- 황용희의《가시울타리의 증언》중에서 -
* 사람을 미워하거나
그가 하는 어떤 행동을 미워하다 보면
나 자신도 마음이 편하지 않게 됩니다.
조금만 더 생각해보고 뒤돌아 보면서 마음을 열면
건강한 마음, 행복한 마음이 기다리고 있을 것입니다.
許し
許す瞬間
憤怒と恨みと悲しみの拘束から離れることができる
許す人は、身体的にも健康で
精神的にも幸せになることができ
許しは他人のためにするが
一番重要なことは、自分自身のためだ
- ファン・ヨンヒの<とげの生垣の証言>より -
* 人を憎んだり
彼がするある行動を憎んだりすれば
私自身も心が楽ではならなくなります
ちょっとだけ、考えてみて振り返ってみながら、心を開けば
健康な心、幸せな心が待っているでしょう。
ふと思いましたが、このような思考は、キリスト教的「許し」じゃないかなーと思いました。韓国は教会も結構ありますし
金大中元大統領も、全斗煥元大統領を信仰で許そうと努力したといわれていたといいます。
日本人的思考だと「罪を憎んで人を憎まず」という感じで、許すのとはちょっと違う気がするんですよね。
なかなか出来ないことですが、出来るようになりたいですね。
****試験までもう少し!がんばりましょう!
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コメント
■たまさま
『シークレット・サンシャイン』、チョンドヨンとソンガンホが主演の映画ですよね。
宗教の許しと救いが題材で、私自身にとっては結構ショックな内容でした(苦笑)
許しは普遍的なものではなくて、自分の内面のものなのかもしれませんね
>私は 용서 と言う言葉がすごく大げさに感じられることがある
なんとなくですが、私もそんな気がします。
完全に許すっていうより、おっしゃられるように水に流して忘れるって感じが日本人らしいですよね。
韓国って儒教で基督教なんですよね。
今度気にしてスクリーンドアを見てみたいと思いますwありがとうございました
投稿: まろ | 2010年9月 9日 (木) 23:40
映画『シークレット・サンシャイン』が、では宗教で許すことができるのか、宗教によって人は救われるか?という題材でしたね。
私は 용서 と言う言葉がすごく大げさに感じられることがあるんですが、
許す。許さない。というよりも日本人だと忘れる。あきらめる。という感じがあるのかな~?とも思いました。
あと、ソウルだと地下鉄のスクリーンドアにこういう詩が書かれているんですよね~。
宗教的な言葉が、生活に溶け込んでいる気がしました。
投稿: たま | 2010年9月 9日 (木) 20:27